20 Feb
20Feb


 みなさんには、思い出深い公園がありますか。自分を育ててくれたような公園が、心の中にあるでしょうか。目を閉じて、記憶を辿って見て下さい。どんな風景が見えるでしょうか。私たちはインクルーシブ“公園”の実現を目指しています。公園という現実の場所です。バーチャルではない、そこにある、公園。 新型コロナウイルスという、これまで私たちが出会ったことのないものに遭遇して、この一年、私たちは身動きが取れなくなったような感じがします。おかげで、オンラインで物事を進めることが増えました。仕事はもちろん、学校の授業も、旅行も、スポーツ観戦も。最初の緊急事態宣言が出た時には、オンラインこそ未来の形だとでも言うような言葉をよく聞きました。最近は少し論調が変わり、やっぱり人は対面でないとだめだ、という考え方も聞くようになりました。皆さんはどう考えますか。コロナのことだけではなく、現在のコンピュータ技術を考えれば、現地などにはこだわることなく、オンラインでほとんどのことを済ませることこそ人にとって良いことなのだ、と思うでしょうか。或いは、いや、人間というのは、その場所で色々なことを体験するのが大切なのだと思うでしょうか。


 少し前に、テレビ地上波で山口百恵さんの引退コンサートが、40年振りに放送されました。山口百恵さんは1970年代に活躍した歌手・俳優で、若くして引退後(21歳!)決して表舞台に現れることがなく伝説のようになったスターです。彼女は神奈川県横須賀出身です。その引退コンサートでこんなことを語っています。「ふるさと。そう問われる度に『横須賀です』、そう答えてきました。」「風の香り、潮の音、夕焼けの色、坂道…遠くに見える海。学校、図書館、友達」。「あの町は変わりなく私を迎え入れてくれると思います。なぜならばあの町は、横須賀は、私のすべての原点だと思うから。」ここには、匂い、音、色鮮やかな風景、歩いたときの体の感じ、人から押し寄せてくる例えようのない勢い、そんな様々な感覚がすべて込められています。オンラインは確かに便利です。これからも、様々な活動がオンラインで行われるようになるでしょうし、それで救われる人がいることも事実です。けれどもオンラインで触れることが出来るものは、どこまで行っても現実の物ではありません。画面の向こうにある物と、画面のこちら側にいる自分は、永遠に直接触れることはできないのです。いやいや、最新技術による画像や音響は現実と変わらないという考えもあるでしょうか。けれど、自分がその風景の一部になるような感覚は、画面と向き合う中では得られないものです。まして画面からは、匂いも、味も、むせかえるような夏の感触も受け取れません。すべての感覚で、直接何かを受け取るためには、“公園という現地”がどうしても必要なのだと思います。自分という存在を生み出す原点としての現地の大切さ、を。 


冒頭の話に戻ります。私の思い出の公園は、家のすぐ近くにあった児童公園です。家からほんの十数メートル。走れば、子供でも数秒で着いてしまうぐらい近い所にありました。近鉄という私鉄の高架下にあり、細長い、鉄棒と砂場と滑り台だけの何の変哲もない公園です。でもこの公園には、素晴らしい利点がありました。高架下にあったので、雨の心配をせずに飽くことなく遊べたのです。夏休みの午後、その公園からふと空を見上げると、それまで真っ青だった世界に、くっきりとした輪郭の入道雲がムクムクと湧き上がり、あっという間に灰色になり夕立が音を立てて降ることがありました。ひとしきり降ると、夕立はさっとあがって、空の向こうにうっすら夕焼けのオレンジが見えるのです。私の原点です。親になり、この公園に我が子を連れて行くことがありました。その時の写真が残っています。新しく出来たジャングルジムに登って楽しそうに笑っています。この写真を見ると、時を越えて場所が生き続けていることを感じて、身体の中に力が湧き上がってきます。人が人であるためには場所が必要です。未来を生きる子どもたちのために、誰にとっても原点になるような“公園”、一緒に造りませんか。

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